この「A Hard Day’s Night」というタイトルは映画公開に先立ち、テーマ曲完成先にマスコミに発表された。リンゴが「今日はとても慌ただしかった … ( It’s been a Hard Day )」と言いかけて、すでにもう夜だった事に気づき「もう夜になってる!( ‘s Night! )」とつぶやいたのを、同時にジョンとポールが聞いていて結果的に、そのタイトルで曲が出来た事になる。
この曲のイントロ「ジャーン!」は主演映画監督のリチャード・レスターの要望だったとか。当時のGSやコピーバンドはこの「ジャーン!」に苦心しているが、ジョージ・マーティン卿曰く「レコードで聴こえる通りのことが、必ずしも実際の演奏で行なわれているとは思わないことだ。」
ビートルズのオリジナル・アルバムと、サウンドトラック盤として選曲とカバーデザインが異なるのは、アメリカではキャピトルが配給していた事情がある。映画はユナイテッド・アーティスト配給したが、サウンドトラック盤としてもユナイテッド・アーティストがリリースする契約があった。さて邦題の「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ! 」の名付け親は当時、日本ユナイトの社員だった「いやー映画ってほんとすばらしいですね」でおなじみの映画評論家、故・水野晴郎氏である。
]]>ビートルズのデビュー曲が最初に録音されたのは1962年の6月6日。EMIの契約の為のオーディションと言われるセッション内である。そして、この時のドラマーはピート・ベスト。次の録音は1962年9月4日。ここで加わるドラマーはリンゴ・スター。しかしリンゴのドラムに不満を覚えたプロデューサー、ジョージ・マーティン卿はセッション・ドラマーであったアンディ・ホワイトを1962年9月11日のセッションに呼んだ。彼は当時32歳。メンバーよりかなり年上だった。リンゴはこの日のセッションで「ラヴ・ミー・ドゥ」ではタンバリンを。「P.S.アイ・ラヴ・ユー」ではマラカスをプレイした。
ここに3人のドラマーによるバージョンが存在する理由だが、最初のリリースは9月4日のリンゴ・バージョンであったが、しかし、翌年になってから発売されたレコードは、すべて9月11日のアンディ・バージョンに差し替えられた。さらに、マスターテープの混乱を避けるために、リンゴ・バージョンは早々と破棄された。よって、このアルバム「プリーズ・プリーズ・ミー 」に収められているのはアンディ・バージョンである。
また、マスターテープを全て残すようになったのは1963年からの事なので、この1962年セッションのステレオ・バージョンは存在しない。ステレオと明記されているレコードは、いずれも疑似ステレオである。
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