ディヌ・リパッティ〜白血病の詩人

Casa Dinu Lipatti

白血病の詩人。コルトーの弟子。僅か33歳で夭折。作曲家プーランクはリパッティを「神の霊性を持ったアーティスト」と呼んでいた。リパッティは白血病に侵され治療を続けていたが、自分の生命の短さを知っていたため、晩年の数年間は録音活動に積極的に力を入れていた。

第2次世界大戦があったため、本格的にリパッティが活動できたのは戦後の僅か5年間という短い限られた時間だった。しかし精力的に残したレコーディングのおかげで、現在に至るまで熱烈な信奉者は減ることがなく、バッハの小品やショパンの『ワルツ集』などは50年たった今でも歴史的な名演と賞賛され続けている。

リパッティが録音を残した1940年代中頃から50年までは、磁気テープによるテープレコーダーがナチスによって戦時中に発明、実用化されていたが、一般的にレコード録音にはまだ使用されておらず、イギリスのEMIも金属盤に音を直接刻み込む方式の録音を採用していた。また戦後の物不足のために決して満足できる録音水準ではなかったが、それでもリパッティの繊細かつ透明で、完璧なまでのタッチは録音技術の不十分さを超えて聞く者の耳を捉えて離さない。

死の床にありながら最後に弾いたといわれるバッハの『シチリアーノ』や『主よ、人の望みよ、喜びよ』での明晰なタッチでは、何人も真似することが出来ない神々しさに溢れている。

ショパンは師コルトーの十八番だが、リパッティはコルトーとは全く異なる明晰なアプローチによる解釈を完全なテクニックによって演奏した。特にスローテンポで演奏されるワルツでは、上品で巧みなルバートを極僅かに効かせながら、コルトーに通じる詩情と気品を醸し出している。

このショパンの『ワルツ集』のスタジオ録音とは別にブザンソンの最後の演奏会でも同じ作品を弾いているが、そのライブ録音で聴くピアノの音は特に低音域がスタインウェイにない柔らかい独特の響きがあり、一節によるとベヒシュタインを弾いたという話もある。リパッティの独特の透明なタッチと美しさは、楽器の音色の透明感と相まって、モナリザの微笑のように永遠の魅力を失うことがない。

ルーマニアのブカレスト生まれ、父はヴァイオリニストで母はピアニスト。ブカレスト音楽院でフロリカ・ムジニェスクに師事。1934年のウィーン国際ピアノ・コンクールで第2位となり、抗議したコルトーが自分の弟子にした。1936年にパリでデビューしたが、第2次世界大戦でルーマニアに戻って、戦後活動を再開したが、将来病弱で病魔に倒れた。一日12時間も練習したと伝えられている。

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